熱中症対策と漢方

熱中症と脱水症と水毒

ここ数年夏の暑さは年を経る毎に強まってくる感じがします。熱中症に罹る人も後を絶ちません。
猛暑のもとで私たちは多量の発汗を来しますが、その結果私たちの体内では水分代謝のバランスが崩れ、水の偏在や電解質の乱れを来します。電解質とはナトリウム(Na)・カリウム(K)・塩素(Cl)・マグネシウム(Mg)・カリウム(Ca)・リン(P)・マンガン(Mn)などをさしますが、その中でもNaは水と共に移動しやすく、発汗時には多量のNaも失います。つまり塩の喪失が多量の発汗時に見られ、それが脱水症の本体といえます。

脱水症は二種類に分けられます。一つは高張性脱水症と呼び、電解質に比べ水の喪失が多い場合に見られます。この場合体液の浸透圧が高くなります。多量に発汗して水分の補給がない時に現れます。砂漠で水が欠乏した時や、海で漂流した時などに見られますが、日常でも炎天下で運動して水の補給をしなかった時にも見られます。厳しい体育会系クラブの夏季練習では、かつては練習中に水を自由に飲まさないことがありましたが、そのような場合にもこの高張性脱水症をよく来しています。

もう一つは発汗時に多量の水を飲んだ場合に起こる脱水症状です。これを低張性脱水症と呼びます。細胞外液の浸透圧が低下し、細胞内の浸透圧が高いため、水分が細胞内に移動し、細胞外液は著しく減少します。このため循環血液量が減り、心機能が低下します。運動選手がスタミナ低下防止のために過度の飲水を制限するのはこの低張性の脱水症を防ぐことにあります。

脱水症はいずれも高度になると循環血液量の減少から急性心不全を来し、若い元気な運動選手でも命を落とすことがあります。水の保持機能に衰えのある高齢者や口渇を訴えらない幼児では特に脱水症に対する注意が必要です。夏に幼児を車の中に寝かして親がパチンコに熱中し、その間に子供は脱水症で死亡するという悲惨な報道に度々接します。
脱水症は軽度の場合は脱力感や倦怠感、目まい、頭痛、口渇、食欲不振などといった夏ばて症状が見られます。脱水症は細胞外の水が減少するので水の偏在と言えますが、このように水が偏在する状態を漢方では「水毒」と呼びます。水の偏在を是正するのは「気」の働きによります。したがってこの「水毒」も結局は消化器が弱ってエネルギーを十分に身体に取り入れられないことが原因していると言えます。消化機能を司る内臓は漢方では脾胃であると考えています。このように漢方では熱中症の本体は脾胃の弱りによる元気不足と水毒状態と考えますが、現代医学的には明らかに脱水症がその本体であるといえます。

熱中症対策と漢方の考え

酷暑の中で、如何に健康を保ち快適に夏を過ごすか、その秘訣は単純と言えば単純ですが、熱中症の原因が脾胃の弱りと、水毒の存在にあるわけですから、それを予防し、あるいは改善するようにすればいいわけです。脾胃即ち胃腸を弱らせないように暴飲暴食は避け、ストレスとなる面倒なことは考えず、午後の暑さの厳しい時は午睡をし、夜も早めに寝て睡眠は十分とる。暑いからといって冷たいものを飲み過ぎたり食べ過ぎたりしない。ごく常識的なことばかりですが、今の世の中はごく常識的なことでもそれを実践することが困難な状況にある人が多いようです。そのような方のために漢方では熱中症(夏ばて)の予防と改善によく効く処方が用意されています。

熱中症の漢方治療

中国の金元時代の名医と言われた李東垣りとうえんが中暑病(熱中症)の治療にと素晴らしい薬を考案しました。この処方は『内外傷弁惑論ないがいしょうべんわくろん』という医学書に「清書益気湯せいしょえっきとう」と名付けられて記載されています。同名の処方がその後も考案されていますのでそれらと区別するために「内外傷弁清暑益気湯ないがいしょうべんせいしょえっきとう」と呼ばれています。これは元気の本である消化器を司る脾胃を丈夫にする薬、身体の中の余分な熱を除く薬、それに身体の中に必要な水分を保持する薬を組み合わせたもので、夏の間この薬を常用していると殆ど疲れも知らずに元気に秋を迎えることが出来ます。

当院では故細野史郎先生がこの薬に更に工夫と改良を加えた「細野家方清暑益気湯」というのがあります。この漢方処方は、単に夏ばてだけに使うのではなく、日常の疲労に、旅行の疲れに、運動の疲れなどに非常に効果があります。

この「細野家方清暑益気湯」という処方に、一つのエピソードがあります。昭和四十七年の梅雨の頃です。京都大学の柔道部の主将が私の所に相談に来ました。最も重視している旧七帝国大学柔道大会を前にして、激しい練習の疲れで、レギュラーに怪我人が続出して困っているとのことでした。当時京大柔道部はこの大会に二年連続最下位に甘んじ、OBは勿論のこと、現役も何とかその恥をそそがんと頑張っている時でした。そこでこの漢方薬を選手に飲ますようにしたわけです。上位に食い込んでくれたら良いと思っていたのが、何とその年は見事優勝しました。後で主将から、「中田先輩からいただいた薬のお陰で優勝できました。あの薬を飲み出してから疲労の回復が早く、いくら練習しても疲れがすぐに回復するので、密度の濃い練習が出来、怪我人もその後、誰も出ませんでした。良い薬ですね!来年も現役に是非飲ませてやって下さい。」と感謝されました。「細野家方清暑益気湯」は、このように運動疲労もよく改善します。ゴルフに出かけられる時もぜひお持ち下さるとスコアの改善に寄与すると思います。

当院には「和中飲」というお茶もあります。これは暑熱の害を除く枇杷葉を主体に、胃腸を保護し食欲の出る薬を配合したものです。冷やして少し蜂蜜で味付けして用いますが、これも夏の脱水症対策に効果的です。夏の運動の時にはポットに入れて持ってゆくと中々良いものです。和中飲を飲んでいるととても調子が良いので年中飲みたいと多量に持って帰られる方もいます。冷えた麦茶なども美味しいですが、和中飲も夏の間のお茶に利用されることをお勧めします。

熱中症予防と三里の灸

これは師匠の坂口先生から以前に聞いたことですが、百歳を越え尚元気だった清水寺の大西良慶師は足の三里にお灸をして熱中症を防いだとのことです。三里の灸は芭蕉の『奥の細道』にも出てきますが、胃の働きを良くして脚ばかりでなく身体の疲れも予防します。胃腸の丈夫な人でも、夏は三里に灸をして消化器をより快調にしておくことも重要です。

暑熱による心臓の弱りに三粒丸

その他にも夏ばてに効く漢方があります。当院の「妙効三粒丸」は暑熱による心臓の弱りを防ぎ、疲労回復と予防に効果的です。多忙の人、高齢者には是非三粒丸を常用して元気で夏を乗り越えていただきたいと思います。

この記事を書いた医師

中田 敬吾(なかた けいご) 理事長

医療法人 聖光園 細野診療所 大阪診療所 責任者】

昭和45年 京都大学医学部卒 昭和47年当院にて診療開始。日本東洋医学会評議員。故細野史郎(聖光園細野診療所、創設者)・故坂口弘に師事。

昭和40年前半、学園紛争で大学内が荒れ果てていた頃、聖光園を知り、坂口弘先生について漢方の勉強を始める。京大病院内科で研修終了後、迷わず聖光園に入所し、漢方臨床研究に入る。昭和50年京都大学大学院に入学、胆道系の自律神経支配とプロスタグランディンの研究で医学博士号を受ける。
長年、日本東洋医学会関西支部支部長を務め、東洋医学会の指導的役割を果たしてきている。また、漢薬原料調査委員会においても委員長を務め、絶滅の危惧のある良質の生薬の保存に力を注いでいる。
京大柔道部OB(柔道4段)